Don’t find fault, find a remedy; anybody can complain.

Don’t find fault, find a remedy; anybody can complain.

 

- Henry Ford (ヘンリー・フォード) -

 
あら探しをするより改善策を見つけよ。不平不満など誰でも言える。

 

(米国の実業家、フォード・モーター創業者 / 1863~1947)


 

あした試合

ミックスダブルスの試合

負けたら私のせい

ボレーを決めなかったせい

ミックスダブルスの試合は男の自己満足のためだったり

男が自分に自信を持つためだったり

まあ、いろいろある。

強くて美しい女性とペアを組める優越感だったりも

みんな、言わないだけ。

美しい女性は、経験から、それを知っている。

 


スポーツにおけるプロとアマチュアについて私なりに考えてみると、一番の違いは自分の成長の責任と、結果責任を自分で負うという点にあると思う。

アマチュアのチーム(高校のチームなど)はチーム一丸となって練習をして、ある程度練習の内容が決まっているので皆それなりに成長する仕組みがある。本人のやる気の大小に関わらずチームの空気やシステムで個人は成長することができる。勝つ負けるの責任を選手たちは多少は負うけれども、言われた通りやっていたという点で、全部の責任を感じなくてもいい。

一方で、プロの世界では、結果責任を個人がとる。誰かが無理やり練習をさせるわけでも、メニューが決まっているわけでもない。トレーニングをやらなくて問題ないが、それで負けるのは本人で、損をするのも本人でしかない。自分をどう成長させていくかの全責任を自分自身が負っている。それに失敗すれば淘汰されるだけだし、うまくいけば勝利を手にすることができる。責任を感じようか感じまいが、いずれにせよ自分の人生で取らさせることになる。

勝利者の枠が無尽蔵に増えていくのであれば、プロの世界もそこまで厳しくはないが実際勝利者の数は少ない。またチームのレギュラー数にも限りがあるので、そこを必死で争うことになる。プロの世界ではアマチュアの世界とは違い、努力しない人を励ましたりしない。また一人転げ落ちただけだと一瞥して終わる。

アマチュアの世界は成長することや勝利の責任をチーム(指導者)に預ける代わりに、自由を一定量手放す。

プロのチームは、自己の成長や勝利の責任を負う代わりに、自由を手に入れる。

政治的には

わたしたちの暮らしに関する影響でいえば

今、働き方について様々な議論がなされているが、結局のところ日本がプロ化しようとしていると私には聞こえる。もう自由を組織に捧げなくてもいい代わりに、誰もあなたの成長の責任をとってはくれない。働く時間も自由になるが、代わりに何かを生み出せない人はいくら時間を費やしても評価してもらえない。

自由は素晴らしいが、恐ろしいものでもある。どうもこの流れは止まらなさそうだから、適応した方がよさそうだと個人的には思っている。

つまり、人間的に成長することと対義にあり、人間的に成長したとしても、ひそかに嚙みしめるに限る。人間的に成長することとニーズに応える成果物を提出できることが同時になればいいが、どんなに優れた成果物であったとしても、受け取る側が決めることだ。

そんなふうにしてスコア化され、点数化され、評価され、数値化され、価値が決まる。


あまりにばかばかしいので、人は感動を求める。スポーツには、なぜかわからない感動がある。

テニスでいえば

伊達公子が復帰し、マリア・シャラポアが復帰する。

みんなが見たいのは、美しい女性と復活劇にちがいなく、テニスファンでなくても、ヤフーニュースの見出しか何かで注目される。

しょせん、その程度。

仕事が楽しくなくなってきたら、早めに流してプライベートを充実させることをオススメする。

自分に関していえば、

ほんの短い間だけ、仕事が楽しい時期があったが、たんに難しい問題を解けた達成感に似ていて、子どもが算数で100点もらって調子に乗って次々と難問に取り組んでみた、なんていう、くもん氏みたいなもんじゃー、ないのかな。

自分一人で楽しんでいるうちは、いいのだが、大人から干渉されたり首突っ込まれたら、やる気なくすし、かんたんに飽きる。

ほんの小さな自由。

誰も分かってくれなくても。

はやくシングルスやりたい。

忙しすぎてテニスの時間が取れそうもない。

なかなか体調が良くならないから、いろいろ希望を出しているんだけど。

まだ、しばらくのがまん。

専門職の現場には自我が強い人が多い。関わってはいけない。煩わされてはいけない。好きで専門やってるわけじゃないから、そのへん皮肉な話である。なんの才能もないやつが専門職をやりたがる。世の中変わったな、と思う。