情けは人の為ならず。

 

施せし情は人の為ならず おのがこゝろの慰めと知れ

 

我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば長く忘るな

 

出典:『[新訳]一日一言:「武士道」を貫いて生きるための366の格言集」 新渡戸稲造著

 

日本の古文由来の諺で:情けは他人のためではなく自分自身のためにかけるものだ。だから自分が他人にした良いことは忘れてもいい。でも、人から良くしてもらったことは絶対に忘れてはいけないよ、という意味です。


私はテニスが上手くなりたいあまりに、両手利きグリップ問題、両手打ちグリップ問題、バックハンドスライス問題、クロスコート問題、ダブルスポジション問題などなど、多くの問題を生み、あらゆるテニスサークルのメンバーに迷惑?をかけてきた。

テニスが上手くなりたいあまりに。

協調性のなさ大全開のテニスが、というより、ひとりだけ違う人が(;・∀・)

新座の会員制クラブでも、こうして仲良くしていただけて、感謝しかない。

 

ミックスダブルスも、何もかもがおかしいと言われている。

 

こないだなんて、急にクロスコートでボレーをやることになり、ストレートしか打てない理事長に「真面目にテニスをやれ。」と、言われてしまいました。

 

 

あれには傷ついた。

理事長がストレートしか打てないのは周知の事実だからだ。

「ポルトガル語が出来るからフランス語も読めるよな?」

「日本人だから古文読めるよな?」

と、

言われているのと同じ(T_T)

なので、あのプロコーチに文句を言いに言った。

行くやろ、そりゃ¯\(°_o)/¯

自分が全日本に出るために数千万円かけたというので、こっちは数千円をかけてガットとガチグリ(中高生に今流行のMIZUNOのウエットテープ)を張り替えて、わざわざ、文句を言いに行った。

「テニスが下手だと言われているんですけど。」

と、言いに行った。

「でも、上達したベースラインを見て、コーチ泣かないでくださいよ。」

と、言いに行った。

 

 

人生はテニスのシングルゲームと同じで、誰かが誰かを幸福にすることなどできない。他人にしてやれることなど何もない。他人のことをわかってやるのも無理だ。他人を支配するのも無理だし、支配されることもできない。

 

そして、もし何か他人に対してできることがあるとすれば、キラキラしている自分を見せてやることだけだ。キラキラする自分を示し続ける自信がない時、それは一つの関係が終わる時を意味する。

 

 

(村上龍「テニスボーイの憂鬱」)

 

 

私はテニスを始めたのが遅かったのですが、上手くなりたいあまりにプロコーチのレッスンを受け、社会人サークルで練習をして、本格的なテニスを楽しんでいます。

 

 

勝敗以前に、私はテニスが上手くなりたい。

 

 

「テニスが上手くなりたかったら最初の数年間はストロークを頑張ること。」

 

 

約束の5年が経過し、ラケットの持ち方から教わった最初のコーチに会いに行った。

 

 

相変わらず変わり者だが相変わらず真面目だった。

 

 

昔、全日本に出たことがある変わり者のプロコーチは、私のテニスが上手くなっている、それも、とても上手くなっているのだと言った。

 

 

あなたが教えたんや。

 

 

「せっかくだから来週、ダブルスをやろう。レベル高いけど大丈夫。」

 

 

次回は実業団選手とダブルス。

 

 

試合の時にHEADやYONEXなど、珍しくて様子のわからないボールが試合球だったら、買って練習しとくんですわ、という話をしていた。

 

 

「FORTだったら空振りしなかったんじゃないですか?」

 

 

…見とったんか¯\_༼ ಥ ‿ ಥ ༽_/¯

 

 

プロコーチ・黒田純一のシングルスレッスンです。

 

 

 

 

(社会人テニスサークル「トップスピン」の練習風景です)